確かにストレスを発散させるために他人の悪口を言い合うというのは有効は方法なのかもしれない。
そういった愚痴の嫌いな人とかはそういう愚痴を聞いてまた新たなストレスを溜め込むことになるのだが。
私は愚痴が嫌いなほうなのだが、もしかしたら言っているかも知れない。
もともと人には長所と短所がある。どちらもあるからこそ人でありえるのだと思う。
だからこうやって悪口を言われるのも仕方が無いと思うし、悪口を言われる覚悟くらいはしておかないといけないのだと思う。
だがしかし、誰にだって長所と短所があるのだから、自分のことを棚にあげて他人の短所を批判しあうのはいかがなものか。
本人に言って、悪いところを直すようにする。・・・簡単なようで難しい。
あまり親しくない関係で、自分から言い出すのもおっくうな状況で本人に伝えることは難しいし、打開策を出すと言うのも意外と難しい。
親しい友人に話すほうがよっぽど楽である。
人間と言うのは卑怯なつくりになっているものだ。
もちろん私も例外ではない。
ただ、私は友達の悪口など絶対に言いたくない。
なぜなら、友達の短所も含め友達のすべてを受け入れているはずだからである。
便宜上友達と表現している人は数多くいるが、本当の友達と言うのは数えるほどである。
いうなれば親友であろうか。
ただ、親友と言う表現は私が照れくさいのであまり使わない。
平等なんてありえないし、自分の考えていることが必ずしも他人の考えていることというわけでもない。
私の考えはあまり多くの人に受け入れられてない。
だからこそ、私は他人の意見を聞くことができるし、他人の意見を参考にすることもできる。
私の考えは、他人と大きく違うから、私の考えを強制的に押し付けたくはない。
しかしながら、他人の意見にそのまま染まるわけでもない。
最近の人は、自分の意見を持たず他人の意見を批判してばかりである。
自分の意見を持てば、他人の意見を批判することは少なくなるのではないだろうか。
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